日蓮宗実相寺//三浦市

実相寺

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歴史の中の実相寺:五百余年の歴史をたどる

日蓮聖人がお生まれになられたのは承久の乱の翌年貞應元年(1222年)。そして「法華経こそ釈尊の本意であり、その教えにしたがって生きることこそ一番大切な生き方なのである」と日蓮法華宗の開宗を宣言されたのが建長五年(1253年)四月二十八日。

時は鎌倉時代、鎌倉幕府の安定期から蒙古襲来を境にして衰退をたどろうとしていた時期でした。日蓮聖人はちょうどこの時代に活躍されたのです。

それからほぼ二百年後の康正元年(1455年)より、『実相寺』の歴史は始まるのです。

この頃はいわゆる戦国時代といわれ、各地に豪族が割拠し、それぞれの地を治める一方、各地で領地を広げるための争いが繰り返されていました。

三浦では、三浦道寸義同が、三浦時高らを滅ぼし、新井城主となって三浦一帯を治めましたが、二十年後の永正八年(1518年)には北条氏に滅ぼされてしまいました。

この頃の日蓮宗は発展興隆期で、立派なお坊さんがたくさんでて、京都では「法華宗に在ずば仏教徒に非らず」とまで言われるほど教団は栄えていました。開山日胤聖人もまた、こうした意気込みをもってこの地で布教にあたられたことでしょう。

その後約百余年の間では、諸国の豪族はしだいに強大豪族によって統合されていき、ついに信長によって天下は統一され、「織豊時代」へと移りました。

1518年以来北条氏の支配下にあった三浦は天正十八年(1590年)北条氏滅亡とともに、徳川家康の支配下になりました。

当山では現在、当時を伝えるものは少なく、ただ古い棟木に第七代日禹聖人が本堂を造営したことが書き残されているだけです。

時代は織豊時代から江戸時代へ、慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いを境として政治の中心は江戸へと移りました。そして幕府は将軍を中心とした集権体制を打ち立て、諸大名の統制を強め、士農工商の身分制度をより強固なものにしていきました。

この頃の三浦は、徳川幕府の直轄領として、気候温暖をいかして、江戸の台所の役目を営々として勤めていたようです。

この時代日蓮宗は、厳しい不受不施派の弾圧、宗教統制にさらされる中で、日蓮宗のありかたも大きく変わった時代でした。

当山には、慶長四年からの過去帳が今に伝わっています。当山の檀信徒として信仰に励み、寺を守ってこられた方々の法号をとどめる貴重なものです。また、明暦・寛文年間に本堂造営、若宮権現修造を行った日能・日習聖人の活躍を伺い知ることができます。

過去帳

 

江戸時代も半ば、元禄から文化文政の時代(1688~1829年)には、産業は大いに発展し、商業活動は全国に広がり活発となりました。また町人文化が発展し謳歌した時代でもありました。

当時三浦は、経済流通の中継地として、経済力のある町衆の別荘地として栄えました。亨保五年(1720年)浦賀番所「外国船や通行船の監視」ができ、浦賀灯明堂、岬灯明堂が作られたことは、三浦の地が重要な拠点であったことを示す証拠といえましょう。またこの地は、新しい時代を告げる前ぶれの地ともなりました。

この時代は実相寺の隆盛期でもありました。日雄・日言、さらに日東・日義という立派なお聖人が活躍され、当山は大変栄えました。『七面天女』が景勝の島「波島」にまつられ、近在の人々はもとより、江戸の町人や文化人の信仰を集めていたのもこの頃でした。

初声 (宮田)八景 のひとつである『波島暮雪』

※当山寺領で七面天女が奉安されていた。

当時の波島の風景

昔の波島

当時の波島2

 

現在の波島の風景

現在の波島

 

 

時代は近世から明治へと移り欧米諸国の圧力の前に、幕府の権力は失われ、ついに明治維新を迎えました。

仏教は、廃仏棄釈・文明開化の嵐の中で大変な混乱と苦境の中に立たされました。そうした中で当山が選んだ道は「寺子屋教育」でした。学僧日進聖人の力かと想像していますが、日導・日應聖人らの努力によって、地域教育に貢献し、今日の初声小学校の基礎となりました。

明治の初め、実相寺には会所(村役場)も置かれてありました。また学校も実相寺寺子屋から下宮田学舎。そして下宮田学校、続いて成章学校、開進学校と呼び名も変遷し、明治二十二年初声尋常小学校となり、明治三十五年まで当寺で子供達が学んでいました。

昭和二十年敗戦とともに、当山も苦境におちいりました。農地解放と混乱の中で、経済基盤をすべて無くしてしまいました。しかしながら、檀信徒の護寺護法の信仰心に支えられて、庫裡・客殿も完成し、本堂の改修も行い、寺観を一新し、今日を迎えることができました。

 

昭和30年2月25日庫裡改築に際して地祭奉行

 

 

実相寺もまた、寺の持つ役割をしっかりと把握し、時代と地域の要請に応えていかなくてはなりません。当山が常に、『お題目』に導かれ、平和と安寧をいのる人々の心の故郷であり続けることをひたすら願って止みません。

(住職 植坂行雄記) 

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