日蓮宗実相寺//三浦市

実相寺

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実相寺歴代聖人譜

 

開山 実相院日胤(じっそういんにちいん)聖人

 (?-1465)上総国(千葉県)茂原の妙光寺(現在の藻原寺=日蓮宗本山)第八世、康正元年(1455) 布教教化のため三浦にわたり、松輪の地に草庵をかまえる。実相寺の始めなり。寛正六年九月二十七日寂す。

第二世 歓喜院日養(かんぎいんにちよう)聖人

 (?-1506)茂原藻原寺第九世、日胤聖人について三浦にわたり布教伝道に従事す。明應三年(1494) 十一月現在の地に移転す[一説には大津波で堂宇が流失したためと伝えられている=初声村誌]永正二年二十日寂す。

第三世 久遠院日恵(くおんいんにちけい)大徳

 生没年未詳、二十六日命日

第四世 教行院日賢(きょうぎょういんにちけん)大徳

 (?-1580)生年未詳、天正八年三月十八日寂す。

第五世 慈恵院日順(じけいいんにちじゅん)大徳

 (?-1575)生年未詳、天正三年五月二十六日寂す。

第六世 正純院日蔵(せいじゅんいんにちぞう)大徳

 (?-1579)生年未詳、天正七年九月十三日寂す。

第七世 善修院日禹(ぜんしゅういんにちう)大徳

 生没年未詳、棟木古札には「慶長年中日禹本堂造立」とある。(慶長は十九年間・・・1596~1614)十五日命日

第八世 蓮妙院日福(れんみょういんにちふく)大徳

 (?-1616)生年未詳、元和二年一月二日寂す。

第九世 実成院日等(じつじょういんにっとう)大徳

 (?-1627)生年未詳、円徳寺(十三世)より当寺に転住[墓碑]。 寛永四年九月二十八日寂[墓碑には明暦二年(1656)八月十三日とある]

第十世 恵運院日能(えうんいんにちのう)大徳

 (?-1657)生年未詳、慶長九年身延山日乾聖人(21世)より・同十一年に日遠聖人(22世)よりお曼荼羅を授ける[当山寺宝] 明暦三年二月二十一日寂す。

第十一世 法性院日習(ほっしょういんにっしゅう)大徳

 (?-1660)生年未詳、慶安二年(1649年)大地震で倒壊、明暦三年丁酉十月本堂造立[棟木]す。 寛文十二年若宮権現社修造[寺社書上扣]。万治三年三月二十二日寂す。

第十二世 真性院日理(しんしょういんにちり)大徳

 (?-1707)生年未詳、宝永四年七月七日寂す。

第十三世 理即院日禮(りそくいんにちれい)大徳

 (?-1693)生年未詳、元禄十六年三月日禮代に本覚寺の客末となる[初声村誌]元禄六年六月二十六日寂す。

第十四世 高月院日運(こうげついんにちうん)大徳

 (?-1703)生年未詳、光月院ともある[過去帳別欄]。元禄十六年九月十八日寂す。

第十五世 心境院日聡(しんきょういんにっそう)大徳

 (?-1700)生年未詳、元禄十三年十月二十二日寂す。

第十六世 寿量院日諦(じゅりょういんにったい)大徳

 生没年未詳。

第十七世 清光院日證(せいこういんにっしょう)大徳

 (?-1707)生年未詳、宝永四年六月十四日寂す。元禄十六年十一月大地震あり、三浦地方に大きな被害が出ており、 当山でも相当な被害を受けた様子。

第十八世 法源院日雄(ほうげんいんにちゆう)聖人

 (1677~1756)実相寺中興開基・開基檀徒長井村小沢半右ヱ門、時の地頭水野右近元朝、名主の猪熊安清ら 有力檀家信徒の外護をえて、宝永五年に客殿を、翌六年には本堂建立、正徳五年波島に七面大明神を勧請、享保八年には 梵鐘造立[供養導師・本山本覚寺日詔聖人]と寺門興隆に丹精し寺観を一新す。また、歌道にも通じ、江戸の文化人との 交流あり。聖人の徳を慕うの弟子 檀家信徒多し[過去帳]宝暦六年一月六日寂す。世寿八十才。

第十九世 要玄院日言(ようげんいんにちごん)聖人

 (?-1755)十八世日雄の弟子、三宝尊・四菩薩・諸尊造立(元文四年・江戸京大仏師田辺弐部作、池上本門寺 26世日芳聖人自筆納経と開眼)。上州那和本妙寺26世、武州川越行伝寺伝寺20世、池上立善講寺・南谷檀林能化23世。 宝暦五年十月十三日寂す。

第二十世 明智院日泉(みょうちいんにっせん)大徳

 生没年未詳。

第二十一世 玉泉院日受(ぎょくせんいんにちじゅ)聖人

 (?-1773)行道縁建立、村惣鎮守若宮権現修復、安永二年五月二日寂す。

第二十二世 大智院日定(だいちいんにちじょう)聖人

 (?-1773)墓碑には「小湊院重職」とある。安永二年四月二十三日寂す。

第二十三世 遠寿院日東(おんじゅいんにっとう)聖人

 (?-1794)宝暦十二年四月七日入寺、客殿内陣再建、鐘楼堂再建、庫裡建立。祖師尊像造立(安永八年本覚寺30世日従開眼) 寺観整備に尽力す。永聖初祖[墓碑]、中村宮村妙浄寺21世、谷中三崎龍谷寺20世、寛永六年八月二十二日寂す。

第二十四世 本勝院日義(ほんしょういんにちぎ)聖人

 (1763~1819)後拝・廊下・行道縁修復(寛政二年)本堂屋根替(寛政六年)若宮権現拝殿修復遷座(寛政十二年) 三宝諸尊御衣替(文化元年)庫裡屋根替(文化四年)等行う。文化八年十一月退住、越後角田山妙光寺38世に住職正東山 (中村檀林能化)二百十八世を歴任。文政二年六月二十二日寂す。57才。妙光寺記録には「文化十四年三月五日入山、 文政二年六月二十二日江戸浅草本覚寺にて遷化」とある。

第二十五世 智博院日光(ちはくいんにっこう)聖人

 生没年未詳、文化八年入寺、若宮権現拝殿再建(文政四年)文政五年迄在住・退院。「壱役成功ニヨリ恵燈院日継ト改ム、 文化八年極月十六日入院」とある「過去帳」

第二十六世 光遠院日瞭(こうおんいんにちりょう)聖人

 生没年未詳、文政五年より戌年(文政九年)まで在住・出寺、小田和本住寺より移転[什物帳]とある。

第二十七世 海旭院日龍(かいぎょくいんにちりゅう)聖人

 (?-1836)宇恵満、文政十年二月二十二日向延寿寺より転住、二十四世日義聖人の弟子、彫刻を良くし、 当山勧請妙見大菩薩尊像および宮殿・大黒天尊像を天保元年より四年を費やして彫刻制作し、勧請。また、他寺院にも 日龍聖人作の諸尊像作品をとどむ。天保七年七月二十六日当山にて寂す。

第二十八世 守心院日玄(しゅしんいんにちげん)聖人

 (?-1841)宇光栄、天保七年九月二十三日入寺、天保十二年三月四日当山にて寂す。

第二十九世 顕良院日了(けんりょういんにちりょう)聖人

 (?-1870)宇元妙、天保十二年五月十一日上総市東光徳寺より移転入寺、明治三年二月六日寂す。

第三十世 志孝院日進(しこういんにっしん)聖人

 (1806~1880)宇妙道、師匠「日貞聖人」、大田和本住寺27世、佐原常勝寺34世より弘化四年六月二十二日入寺、 本堂・鐘楼堂・庫裡屋根替(嘉永元年)妙見大菩薩尊像・弁財天尊像等彩色お衣替(嘉永四年)須弥壇造立等寺観を整備す。 安政二年四月越後国村上城下経王寺に転住。正東山(中村檀林講頭・能化)三百五世を歴任。明治十三年九月十二日寂す。75才。

第三十一世 敬義院日導(きょうぎいんにちどう)聖人

 (?-1880)姓は小林氏、安政二年六月入寺、寺子屋教育にあたる。若宮権現の鳥居開眼(安政三年)。明治十三年九月二十日寂す。

第三十二世 敬龍院日應(きょうりゅういんにちおう)聖人

 (1842~1899)姓は能登氏、住職前より寺子屋教育にあたる。村役場の書記の任にもあたる[初声村誌]。 明治十二年管轄應提出控に「権訓導能登日應」とある。寺宝類表装、明治三十二年九月十六日寂す。58才。

第三十三世 諦中院日道(たいちゅういんにちどう)聖人

 (1869~1941)姓は飯田氏、宇は顗山。千葉県出身。千葉県香取郡大乗寺で得度。横浜法性寺にて修行。明治三十二年当山に住職。 本堂修繕(明治四十四年八月)大正十二年九月の関東大震災で裏山が崩れ本堂が大破、大修復を行う(昭和五年)。 昭和十四年引退。昭和十六年八月十一日寂す。73才。

第三十四世 寿徳院日是(じゅとくいんにちぜ)聖人

 (1903~1981)姓は阿部、字は宣浄。秋田市出身。鎌倉本覚寺貝山日勇聖人について得度。師遷化の後日泰聖人に師事、 昭和十四年六月一日当山に住職。昭和三十年庫裡新築。三十四年本堂改修、五十二年に鐘楼堂再建立。寺観整備に尽力。永年保護司・教誨師・ 人権擁護委員を勤め、藍綬褒賞をうける。昭和五十三年三月引退。本山本覚寺五十一世加歴。昭和五十五年八月二十七日寂す。78才。

第三十五世 現住職 植坂行雄(恵徳院日観)

 

以上

 

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